みなさんこんにちは!
カウンセラーえりです。
今日は、不登校の子供にお手伝いをさせるべきか、という点についてお話しをしていこうと思います。
不登校の子にお手伝いをさせることを推奨するのは、お手伝いをさせることによって、子供に自分にはちゃんと家庭内に役割があり、居場所があるのだと感じさせ、自己肯定感や自信を養おうという目的があるから、という見解が存在します。
お手伝いは良いことですよね?お手伝いは悪!なんて言いません。
しかし、以前にほめても子供の自己肯定感を高めることには直結しないというお話しをしましたが、それと同様に、お手伝いさせても自己肯定感を高めることにはならないし、不登校の根本解決にはならないというのが子供の心の実態となります。
そもそもお手伝い以前の問題
子供の心が今どのステージにあるかにもよりますが、そもそも生きる気力のない子供が「お手伝い」という行為にでるのは難しい場合がほとんどです。子供は、明日目覚めずに死んでたらいいな、それとも地球終わってたらいいな、と願うほど生きる気力を失っているかも知れないのに、お手伝いという他人のための行動に対してやる気が湧き上がってくるはずもなく、「この程度のことならできるだろうしやらせた方が良い」という見解は的外れです。
お手伝いをしなくても子供には価値がある
子供が積極的にお手伝いをしたがり、そこに喜びを感じているのであれば是非そのままにすれば良いと思います。お母さんも、子供がお手伝いをしてくれたらおもいっきり喜んでください(*「ここがちゃんとできてない」等指摘するのはNG!)。しかし、「やらなくてもOK!」「やってもやらなくてもどちらでもいいよ!」というスタンスは貫くことかと思います。それはお手伝いを評価基準にしないためであり、お手伝いしなければ認められない、と子供が感じてしまうことを避けるためです。そうでないと、他人の基準に合わせて生きることになってしまい、お手伝いという一見自立してそうな行動をしているのにも関わらず、結局いつまでも精神が自立できないからです。
手放した方が良い価値観
親御さんの中には、「学校に行かないなら何をしても無駄」と言う風な形でお手伝いを否定し、一刻も早い学校への復学をあくまで求める方がいるようです。けれども子供は怠けているから家にいるのではありません。学校に行かないのではなく、行けないのです。それは親のモノサシでは測りきれない、理解できない心の領域かと思います。もちろん私自身、なぜ子供が学校にいけないかなんて最初は全くわかりませんでした。でもわからないならわからないなりに、自分基準で判断してはいけないのです。子供の心の苦しみは、価値観によって評価されるものではないからです。子供は今は自宅にいる以外選択肢がなく、別にお手伝いしなくたっていいのです。何をする必要もないのです。
“存在するだけでいい”
そのメッセージを発し続けることが大切で、お手伝いするかどうかなんて、実はどうでもよいのです。
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