こんにちは。カウンセラーの古畑えりです。 以前に、不登校の原因について、こんな風にお話ししました:
不登校の2大原因
- 学校で嫌なことがある(いじめ、友達や先生とのトラブル、勉強等のプレッシャー)
- 上記の通り学校で嫌なことがあっても、家で安らげない(親が口うるさい、過干渉、子供に共感しない)
このように、今起きている物事にはすべて原因があるという心理学的理論を、「原因論」と言います。原因となったことを見つめなおし改善することによって、現状に変化をもたらすというアプローチです。 それと対照とされるのが、皆さんも「嫌われる勇気」でご存知の「アドラー心理学」における「目的論」です。過去の出来事と現在起きていることの因果関係を否定する立場をとっています。 今日はこの「目的論」についてお話ししようと思います。
アドラー心理学における「目的論」
目的論とは、自分の現状は、自分が何かしらの目的を達成するために、自ら選んでいるという考え方です。アドラー心理学では、人は過去の原因に動かされているのではなく、目的を果たすために動いているのだという考えをします。「過去のトラウマ」を完全に否定しています。 「嫌われる勇気」では、哲人と青年の会話形式で話が進むのですが、冒頭にひきこもりの友人の例がでてきます。この友人は長く引きこもりの状態で、それは過去のトラウマのせいではなく、何かしらの目的を達成するために自らその状態を選択しているという解説になっています。 同様に、中学生の不登校について目的論で考えると、子供は
「何かしら得られるものがある(目的を達成できる)から、不登校という状況を選んでいる」
となります。 一方、原因論に基づく考えだと、子供は
「学校が辛く家が安らげないために不登校になってしまった」
となります。 どうでしょうか。 原因論だと「この子が学校に行けない原因は何なのだろう?」と考えるところ、目的論の立場だと、「この子はどんな目的があって学校に行かないのだろう?」と考えることになります。そうするとこんなことが思い浮かんできます: 「人間関係で傷つかないという目的」 「親の関心をひくという目的」 「心身を休めるという目的」 「勉強をしないという目的」 子供はこれらの目的を達成するために、「学校に行けない」「部屋から出られない」という状況を自ら選んでいるということになります。 そしてアドラー心理学では、過去と現在の因果関係はないのですから、これまでがどうであったは関係なく、今ここで目的を変え、新たにライフスタイルを選べるというのです。自分は自分のまま、ただ選択しなおせば良いと提唱しています。
不登校に対する捉え方
子供のことを思う時、やはり原因論を採用します。しかし、未来へと向けて行動をとろうとするとき、目的論に立つ方がより開かれように感じます。 例えば子供の不登校の原因が家庭にもあると考えたとき、「子育てのこういうところが悪かったからそこを直す」という、悪いところを指摘することから行動が始まります。しかしそれだと憤りを感じてしまうのも確かで、人は、「ダメなところを直す」、すなわち足りないところを足す、という「足りないものベース」だと、行動をとるための動機付けとしてはあまり強くはないのです。変われない自分と変わらない現実に繰り返し悩むことになってしまったりします。 ですから、過去の悪い部分は悪かったと指摘して認めつつも、そこからは目的論を採用し、今から自分が選べる未来への選択肢は無限なのだと捉えた方が、前向きになれると思いませんか?
子供は、育つ環境を選べない
また、子供は育つ環境を選べないのですから、やはり親が、苦しんでいる子供に対して、目的論をもって「あなたが目的を果たすために選んでいる現実なのだから自分でなんとかしなさい」とはなかなか言えないように思います。なぜなら少なくとも私は、子供に対してあまりにも不完全で、これまでの行いが明らかに”guilty”(有罪)だと知っているからです。 けれども子供は子供でこの問題を自分で乗り越えるもの、とも思います。子供自らが今を受け入れ、今後いくらでも道を選択して行けるのだと理解したときに、未来を限りなく肯定できるようになるのだと信じることも大切と思います。
今、この瞬間に未来を選べるとしたら
皆さんは、今この瞬間に未来を選べるとしたら、どんなことを選択しますか? 過去にとらわれず、過去に関係なくこれからを選ぶということは、「前はこうだったからきっと次もこうに違いない」などの過去からくる憶測をすべて排除するということになります。 そういった過去のブロックを外した上で、一度、「今からなりたい自分」を紙に書きだしてみるのも面白いかも知れません。
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