甘やかしと甘え、不登校の子に必要なのは?

みなさんこんにちは、カウンセラーの古畑です。

今日は、不登校の子供に対して、何をどこまでしたら「甘やかし」になりますか?という疑問について、私が思うことをお話ししようと思います。

「甘やかし」とは、子供が自分でできることを親が先回りしてやることを言う

子供が不登校になると、親御さんは自分の子育てを振り返り、厳しすぎたのか、それとも甘やかしすぎたのかと、何が悪かったのか思い悩むのではないかと思います。そして何が甘やかしかの境界線がわからず、結果不登校の子供に対して腫れものに触るようなぎこちない態度になってしまったりします。

子供を「甘やかす」とは、一般的には子供が望むことをなんでも親がかなえてあげる、というような意味で解釈されることもあるかと思いますが、正確には若干ニュアンスが異なり、以下の通り定義されます:

”子供が自分でできることを、親が先回りしてやること”

なので「甘やかし」の反対は「厳しさ」ではありません。例えば親が子供に「勉強しなさい、朝は何時に起きなさい、常識的な行動をとりなさい」と厳しく諭していたとしても、子供が行動をとる前に親が転ばぬ先の杖を与えていたらそれは「甘やかし」なのです。

甘やかし=過干渉

であると言ってもいいかと思います。

不登校の子供に必要な「甘え」とは何か

子供に上記のような「甘やかし」、すなわち過干渉はいかなる場合も不要です。しかし子供が不登校になると、子供にたくさん甘えさせてあげてとアドバイスする人は多いので、今度は「甘え」とは何かとまた親御さんは迷ってしまうのではないでしょうか。

ここでいう「甘え」とは、また上記のような「甘やかし」とは異なっています。

私は、不登校の子供にはまず何もしない方が良い(過干渉をやめる)、そして欲しがるものは家計に影響がない程度なら買ってあげれば良いとかねてから伝えております。それは、子供が必要としている「甘え」に近づくためです。

親が何も言わずに過干渉を止め、欲しがるものを与えてくれる。でもそれだけでは子供の気持ちに応えたことにはなりません。

必要なのは「共感」してあげること

不登校の子供が求める「甘え」とは、気持ちを受け止めてあげること、すなわち「共感」のことなのです。

共感、共感、ってよく聞く言葉ですが、簡単なようで難しいです。あるいは我々が、難しく思いすぎてしまっているだけかも知れませんが…例えばこんなことは過去になかったでしょうか。

子供が、「僕(私)夏休みにハワイに行ってみたいなーー!!」と言ったとします。

あなたは、「うちにはハワイに行くお金なんてないわよ」と答えます。

これらの会話、かみ合っていますか??

共感力の低い人は、このような会話を知らず知らずと子供に対して繰り返しています。子供はハワイに行ってみたいな、と言っただけなのですから、この会話を子供の思いを承認する形で成り立たせるとしたら「ハワイ行ってみたいんだね!」など、受け入れる言葉になるはずなのです。ところが「ハワイに行く」ことから連想される現実的な問題を突然口にしてしまう。こういうことをしてしまった記憶はないでしょうか?

もう一度言います。

不登校の子供に必要な甘えは、受け入れてもらえる、共感されるということなのです。

ですから、先ほどのような会話ですと、子供は自分で表現したことに共感されていると感じられないので満たされません。何が甘えで何が甘やかしかを考える時に、それが子供の気持ちに共感することに繋がっているのか、を考えると良いですね。子供が頼んでもないのに何かをすることは甘やかしです。

是非参考にしてみてください。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

Eri

チャイルドカウンセラー、家族療法カウンセラー。中学生の息子の不登校・引きこもりを経験。子供の不登校に悩むお母さんが、自宅にいても問題解決に導くことができるように独自のメソッドを提唱。

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